伊藤園 お~いお茶新俳句大賞
第二十三回
文部科学大臣賞
河馬駱駝そして僕らに春の雲
カバとラクダは自然界や地球を表現しました。カバやラクダはのびのびと過ごしているのだから、人間は万物の長というような気持ではなく、もっとおおらかな気持ちでいたいという思いを句にしました。「そして」を入れることで、他の俳句との違いを出し、口語にすることでおおらかさや普遍性を出しました。
作者が八十一歳ということが意外だったが、思いきり童心にかえって、お孫さんにでも話しかけているのだろう。夏の入道雲などと違い、大きく立ちはだかる形ではない。
小学生の部大賞 (幼児含む)
富士山を背中にしょってスキーした
富士山のふもとのスキー場に行き、スキーをしているところの写真を撮ってもらいました。写真を見ると、私の後ろに富士山が写っていて、背負っているように見えたのが面白かったので句にしました。
富士山に向かってではなく、後ろ立てにして、その雄姿に見守られながら、という気分のよさと、力づけられる感じにひたりながらのスキーである。「背中にしょって」という表現に、背景の大きさ、見事さが充分に出ている。室内の小さなスキー場ではなく、背景の雄大さが、作者の背中を押してくれる形である。大きく、力強い存在の富士山に見守られながらのスキーを楽しんでいる思いが、充分に作者を満足させてくれるのだ。
中学生の部大賞
タンポポの暖かい色寝てしまう
お母さんがベランダに植えたタンポポを、寝転がって見ていた時のことを句にしました。
一面にタンポポの咲く野原。春の日差しが降り注いで、いかにも暖かそう。思わず、ごろりと横になってしまう。草の感覚は一瞬ひやりとするが、日差しがあまねく降り注いでいるので、少しの間身体を横たえても、風邪をひくことはなさそうだ。緑のしとねと言ってよい。しかもタンポポがたくさん咲いているので楽しい。十三歳という年齢を満喫する、タンポポのしとねだ。
高校生の部大賞
走る人生どこで信号待つのかな
今は周りの人に支えられて高校生活を楽しんでいるけれど、この先は困難や苦難が立ちふさがることもあるのかなという気持ちを句にしました。
走ったり、歩いたり、立ち止まったりする人生だ。信号が青の間は、安心して走るがよい。やがて注意信号になり、やがて赤信号がつく。そうなったら立ち止まって、ひと息入れればよい。信号が変わるまで、まっすぐ前に進めばよい。しっかり歩き続けることである。注意信号に変わったら、少し足をゆるめて、赤信号になった時、ひと息入れて休めばよい。それまでは立ち止まらず、まっすぐ前を向いて歩き続け、走り続けばよいのである。
一般の部A大賞 (40歳未満)
蠟梅や光は痛いものと知る
どんよりとした風景のなか、ロウバイの冴えた黄色が目に入ってきたときの、目にしみてくるような明るさを句にしました。
ロウバイの内側の花弁は暗い紫色、外側の花弁は半透明の黄色で、ロウを引いたような光沢があるため、光の反射がきびしい。この感じを、「光は痛いものと知る」と表現したもので、鋭い感覚といえよう。ロウ細工を思わせる印象である。その反射光が思ったより強かったので、「痛い」という言葉が思い浮かんだのであろう。ロウバイの花の鋭い光を、印象的にとらえた。その硬質の光の感覚を、見事にとらえている。
一般の部B大賞 (40歳以上)
あら雪と云ふおゝ雪と応えけり
穏やかな空模様で、雪の予報が外れたと思っていました。雪が、と妻に言われたときは、いささか驚きました。そのときの会話を句にしました。
老夫婦の間の会話のやりとりを思わせて、達者な表現である。室生犀星(むろうさいせい)に、「ゆきふるといひしばかりの人しづか」という名句があり、独り言でなく、それに答える女性の存在を思わせるが、この句の場合は老夫婦の自然な会話のやりとりを思わせる達者な表現といってよかろう。「あら雪」も自然に発した感じの年配の女性の雰囲気だし、「おゝ雪」という感じ方も、気心の通じ合った年配者の受け言葉を巧みに表現している。
英語俳句の部大賞
though autumn comes
summer still stays
in your sandy sandals
訳/ 秋が立ったのに夏はなおとどまっている君の砂だらけのサンダルに
微妙な季節の行き合い(夏と秋と、二つの季節にまたがること)に、「砂だらけのサンダル」が象徴的に働いて見事だ。夏の間、さんざん履いたビーチサンダルだろう。若者たちの充実した夏の余熱と同時に、いちまつの淋しさを感じさせる乾いた砂の質感!原句では、五度繰り返されるS音の頭韻がよくひびく。さらさらと吹く風は、秋の気配をただよわす。