伊藤園 お~いお茶新俳句大賞
第二十二回
審査員賞
ドキドキが「やった」にかわった運動会
大塚藍果さん、「やった」にかわってよかったですね。運動会なら、誰でも感じることでしょうが、それを、五・七・五にすると、もっと楽しい思い出になったでしょう。「やった」になっておめでとうございました。
ハンカチは涙の雨漏り受けとめる
ハンカチというのはただの布。それが、涙を受け止める優しさの象徴に変わり、しかも、涙が自然と溢れ出す様子を雨漏りと表現したところに感動。涙を流してはいけない、ではなく、受け止める優しさとしたところに共感。
はやぶさの孤独を想う午前二時
十五歳の作者の想いに深く共感しました。遠い昔、現在七十二歳の私自身、この作者と全く同じ気持を抱いて、暗闇に眼を開いていた記憶を呼びさまされました。はやぶさという生きものと午前二時。見事な詩の構築力。
大根を抜いてる私神戸っ子
この意外性が軽快で、いかにも港街神戸の感じだった。大根を抜くことと神戸っ子など、何の関係もないはずなのに、こういうふうにケロリと言われると、大いに関係があると思えてしまう。港が明るい。「私」も。
無花果の実を食べ母の笑顔有り
勝手な想像ですが、もしかして辛いことを抱えて最近、笑うことの少なくなった母上が、無花果を頬張って、珍しくふわりと笑顔を見せてくれた喜びが伝わってくるようで、思わずこちらも表情の緩む一句でした。
琉球の藍のあかるさ冬銀河
俳句の楽しさ、面白さをあらためて知ることになりました。俳句がイメージの装置としても素晴しい、ということにも。そして、この句には永遠の青春性があることにも、ひき寄せられました。
日に干した布団に小さき浄土あり
日のぬくもりを充分に感じさせるふかふか布団に寝ることができるのは、とりあえずはかけがえのないよろこびである。小さな幸せ小さな浄土といってよい。今とりあえず受けることのできる幸せである。実感のある句。