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受賞作品

伊藤園 お~いお茶新俳句大賞

文部科学大臣賞

水切りは銀河を走る小石かな

富山県 稲葉 巧馬 11歳

弟と一緒に河原で水切りをした時、周りがうす暗く車のヘッドライトや月が水面に映っていました。小石を投げると水面で跳ねる様子がまるで銀河の中を走っているように見えたので、それを俳句にしました。

通常の日常次元の遊びの水切りでなく、舞台を天上へ移して、川や池の代りに銀河にささやかな水切りのしぶきをあげさせようという発想が、意表をついて面白く、爽快でもある。天上の天の河だけにイメージも素晴らしい。遊び感覚を天上に及ぼすという発想がとてつもないので、子どもでなければひらめかない発想といえようか。その結果のイメージが素晴らしい。銀河の水しぶきはどんなだろうか。

小学生の部大賞 (幼児含む)

きんぎょすくいわたしも金魚もひっしです

愛知県 福島 加奈恵 10歳

お祭りに行った時に、金魚すくいをしました。金魚はつかまりたくなくて逃げ、私はつかまえようと必死でした。その様子を句にしました。

金魚すくいは、夏の縁日などで見られる夏の風物詩ともいえよう。うすい和紙を針がねの枠に貼ってすくうので、紙が破れやすく、動かすと水の抵抗もあって金魚を載せてすくうには技術を要する。子どもながら、それなりのコツが必要である。金魚の方もすくわれまいと暴れるので、簡単にはいかないのである。どちらも「ひっし」に戦うことになる。その両者のせめぎ合いを「ひっし」と端的に表現したわけで、よくその実態を表現している。

中学生の部大賞

一夏の青春コップで飲み干して

東京都 木下 まこ 12歳

夏の部活や夏祭り、友達と遊んだ事、様々な事は思い出として飲み干して、次に進んで行こう!という気持ちを句にしました。

十二歳といえば、青春期の始まりだろう。それなりの夏の想い出を持つことになるが、その想い出をコップ一杯の水に容れて、そのまま飲み干すことにたとえたのである。飲み干すという表現から、ちびちび飲むより、一気に飲み干す感じなのだが、瞬時であれ、一気であれ、飲み干して終りということか。たとえ方として、重くも軽くもなく、要領のよいまとめ方である。

高校生の部大賞

稲を刈る僕の頭は三分刈り

愛知県 吉村 博記 17歳

学校からの帰り道にある田んぼが刈られているのを見て、野球部で三分刈りの自分の頭と似ているな、と親近感を感じて作った句です。

三分刈りの頭髪といえば、五分刈りにくらべて、短い方である。丸刈りまではいかない。その三分刈りの頭髪で、稲刈りをしたということである。むろん稲は三分刈りでない。稲刈りの間中、時に三分刈りの自分の頭のことを意識したのかも知れない。この両者に特別の因果関係はなかろう。丸刈り頭でも長髪のままでも、稲刈りは直接関係は無い。ただ、三分刈り頭で、稲刈りをしたという意識があったから、この句を詠んだわけだ。

一般の部A大賞 (40歳未満)

踏み切りの棒が上がって春が行く

東京都 谷 明展 29歳

踏み切りで待っていると、そこに黄色い帽子を被った小学生が沢山いました。その黄色と踏み切りの棒の黄色が同じ様で印象的でした。棒が上がる動きと、小学生が歩み出す光景に「春が行く」というイメージを感じて作りました。

眼前の踏み切りの棒が上がって、一歩踏み出そうとした時、今年の春が終る―という思いが、一瞬胸をよぎったのである。ちょっとしたきっかけで、惜春の情を覚えることがある。春を惜しむ思いが不意に意識されるには、何かきっかけがあるものだが、それはささいなことの方が多い。春を惜しむ思いというものは、瞬間だけのこととは限らないが、ふと集中的に起こる場合が多い。ゆっくり時間をかけて一つの感慨として起こることもあるが、その場合でもきっかけはあろう。直接の因果関係はなくてひらめく場合もある。

一般の部B大賞 (40歳以上)

この蟻もアフリカ象もただ一世

群馬県 畠山 勝利 69歳

山歩きが好きで、そこで出会う小さな虫をよく観察します。小さいながらも頑張っている姿に感動します。小さな蟻と大きなアフリカ象は大きさがずいぶん違うけれど一回きりの命の重さは同じであるということを感じ、句にしました。

極小と極大の対比となったが、「ただ一世」を「この世に生きている間一世」と解すれば、この世では極端な大小の姿となったが、現世のあり方として割り切るほかあるまい、ということになろう。それは小さな蟻も大きなアフリカ象も大きさに関わらず同じなのであり、同じ「ただ一世」なのである。象の中でも大きな「アフリカ象」としたことで、大きさの対比がより際立っている。

英語俳句の部大賞

wind
like an alley cat
enjoys a free life 訳/ 風は路地猫のように自由気ままを楽しむ

東京都 小林 遥希 15歳

「野良猫」のことを英語ではalley cat(路地猫)と表す。町中の入り組んだ路地を生活の場にしている猫にふさわしい言葉だ。同じくそこに暮らす人々へ、軽快に曲がりくねって届く風を、日頃目にする猫にたとえたところが素晴らしい。風から猫への転換の意外性と説得力。節電の夏には、涼風として大いに喜ばれる風である。

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