応募はこちら

受賞作品

伊藤園 お~いお茶新俳句大賞

文部大臣賞

海の上白く感じて冬が来る

愛知県 加藤 栄子 15歳

この作品は国語の授業で作った作品です。賑やかな夏が終わり、少しづつ冬にむかって表情を変えていく秋の海をイメージして、せつなさを詠んだものです。鮮やかだった青色の海や空は、冬が少しづつ近づくたびに深く濃いグレーに変わり、夏に目立たなかった波の白さが目立ってくるようになる。同じように、楽しかった夏の出来事も秋や冬を迎えて過去の思い出になってしまう。そんな気持ちを作品にしました。

感覚の正統派。たとえば海の色は、春はグリーン、夏はコバルトブルー、秋はブルーからホワイトブルーに変化してゆく。そして冬は波もさむざむとホワイトになりがちだ。<頭(ず)の中で白い夏野となってゐる(高屋窓秋)>という高名な句の白さの感覚を思わせるあざやかな把握は、女子高生として真正面に海を見据えてつかみとった作品。

小学生の部大賞

ゆうぐれがどんどん山へ帰ってく

福島県 樋口 高太 11歳

ぼくはソフトボールが大好きでよく友達と練習をしています。ある日いつものようにソフトボールをして遊んだ帰り道に見た夕日がとってもきれいで忘れられなかった。その時の空の様子を思い浮かべて句にしました。

日が西に沈む。西があかね色に染まってゆく。小学校の校舎からは近くに山々が見える。その山に西日が沈んでゆくのを、ゆうぐれが山へ帰ってゆくのだと着想したのがおもしろいし、非凡な見方だった。しかし「どんどん」という動きと時間を入れて句の中身が濃くなった。

中学生の部大賞

授業中山の向こうを想像する

埼玉県 桑原 可南子 14歳

授業中に教室の後ろの席から外をふと眺めていた時に、窓から見える山の向こうが海やアミューズメントパークだったらいいなという気持ちになりました。そんな気持ちを詠みました。

学校の教室の窓から山が見える。案外近い距離なので山の様子がよく分かるし、その山の向こうがどうなっているのかなあと、つい想像力をはたらかしてしまう。決して授業は退屈ではないのだが、「山の彼方の空遠く」というカール・ブッセの詩など思い出したりして。

高校生の部大賞

鶏よ空の高さを知ってるか

千葉県 石橋 靖浩 17歳

僕が通っている高校では、シャモを飼っています。そのシャモが授業中にあんまりずっと鳴いていたので、そのシャモに向って、空の高さを知っているのか問いてみたくなった気持ちを句にしました。授業で部屋に閉じ込められている自分と、外で飛べずにいるシャモとどちらが自由なんだろう…

ウイットと寓意を重ねた非凡な見方をしている。木で憩う鶏もあるが、ほとんどは地上で一生涯を送る鶏の宿命。人間に飼われ、それに馴らされた鶏に対し檄を飛ばし、空の高さの未知なるものへのあこがれと、鶏に対する実にあたたかな愛情が描かれている。

大学生・専門学校生の部大賞

愛されずわたし観葉植物派

東京都 笠原 奈穂子 25歳

一人暮らしに慣れなくて寂しい頃、部屋に観葉植物をたくさん育てるようになった時期がありました。このままでは人を愛せず、植物だけが唯一の友達になるんじゃないかと不安だったそんな頃のことを懐かしく思い出しながら作った句です。

下句が魅力的である。自嘲的な表現だが、愛といものを真摯に考え、自分を喜びを持たない観葉植物にたとえながら、見られる喜びと、どんな環境でも強く耐えてゆくことを結局は主張しているのではないか。

一般の部A大賞 (40歳未満)

わが身体瀧四五本は流れけり

埼玉県 有永 克司 38歳

旅先で滝の力強い流れを見たとき、自分の身体の中にもその滝と同じくらい強い生命エネルギーが流れているのを実感しました。その時の思いをこの句で表現してみました。

身体の中を滝が流れると言うとき、その滝はある衝撃を与えるものに違いない。たとえば強い電流が流れるように、わが身体をおどろかす因子が四つも五つも連続してわが心に入り込んでくる。しかし自分自身は、それを意識して対応できる仕組みの強さを持っている。誰でも心中に滝が流れるひやりとした思いを経験したことがあるに違いない。

一般の部B大賞 (65歳未満)

口あけて時の止まりし目刺しかな

秋田県 中村 榮一 64歳

魚屋に並んでいる目刺しは、口を明けたまま並んでいる。まるで、びっくりして口を開けたまま時間が止まってしまったみたいだ。自分の身にそぐわないことがおきて、まわりが真っ白になったまま時が止まってしまったことをたとえた句です。

目刺しは口に棒を刺されて浜に干され、やがて市場に出る。棒を抜いても抜かないでも、目刺しの口は永遠に開いたまま。それは時間が永劫に止まった形として、我々はなんの不思議もなく受け取っている。でもその形こそ不変なのだ。中句で生きた。

一般の部C大賞 (65歳以上)

木の実落つまた落つ天の不整脈

東京都 世古 正秋 70歳

お寺の境内にあるイチョウの木から銀杏がポツポツと落ちていた。目を閉じて耳を澄ますと不規則に落ちる銀杏の音だけが聞こえ、まるで自然界にも不整脈があるかのように思えた。我が身の不整脈と地球の不整脈が重なってなんとも言えない気持ちがした。

見ていると木の実が次々に落ちる。自然は天の恵みと言うか、古い昔から落葉樹林帯では木の実は貴重な食料だったのだ。その恵みの循環は今でも絶えることなく続いている。作者はそこでひねって考えてみた。言うなれば天の不整脈なんだと。結句が抜群におもしろい比喩になっている。

英語俳句の部大賞

working day-
red poppies crushed
by a wood cart 訳/ 仕事日…赤い芥子の花は木挽車に踏みしだかれ

ルーマニア Coman Cristina 10歳

休日の静寂が破られた仕事日の森へ行き帰る木挽車、その轍に散る赤い芥子の花を詠ったもの。平明な描写の背景に、森に働く人々、伐採音、森の道、森への道、そこ此処に咲く芥子の花などを彷彿とさせる奥深さがある。句のリズムのよさもピーターセン先生が褒めておられる。

  • X