伊藤園 お~いお茶新俳句大賞
第二十六回
文部科学大臣賞
りょうはしにぶらさがりたい三日月だ
冬の夜、三日月がとてもきれいでした。三日月の両端におねえちゃんとぶら下がってみたら楽しいだろうなと思い作りました。
とてもいい三日月様が出ています。きれいな黄金色の弓張月で、上向きになっていて、丸い両端が吊り輪のようなかたちに見えます。見ているだけで、さわやかな気分なのですが、いっそのこと、あの三日月の両端に跳びついてぶらさがったら、もっといい気分になるだろうなあと思う。大人たちは、名月やとかなんとかいって首をひねっているけど、私の三日月様は、あの両端にぶらさがるのを待っていてくれているような気がするんだと、作者は想像したのではないでしょうか。
小学生の部大賞 (幼児含む)
タンポポがじいさんになってたびにでる
タンポポがどんどんじいさんになっていって、風で飛んで旅に出るということを、想像しながら俳句を作りました。
黄色い花を咲かせ、やがて白い綿毛を風に乗せて飛ばすタンポポを、「じいさんになって」と表現している点が、この作品にインパクトとユニークさを持たせています。タンポポが旅に出るという作品は、比較的よく見かけられますが、この言葉を使ったことで、それらとの差別化につながっています。
中学生の部大賞
鉛筆の真横に冬が歩いてる
勉強中、気分転換に窓を開けると、外で降り始めた雪が机の上にも落ちてきました。この冬から春になると学年が一つ上がり、自分も季節とともに学習しながら成長していくのだという思いを、この俳句に込めました。
冬の勉強部屋。外から帰ってきて、寒い部屋の中に入ると、机の上に一本の鉛筆がころがっていました。しんしんと冷え込む空気が、鉛筆の周りに集まっていて、そこから冬の気配がひろがっていくような感じです。鉛筆は鋭くとがっているにちがいありません。「鉛筆の真横」と幾何学的にとらえたのは、刺すような感覚を表現したかったからでしょう。「冬が歩いている」は、そんな冬の部屋の時間の流れのようにもみえます。
高校生の部大賞
セロ弾きの後ろ姿はカブトムシ
憧れていたチェロを始め、嬉しくて背負って歩いていたら、それを後ろから見た友達に「カブトムシみたいだね」と無邪気な顔で言われ、空しくなった事を句にしました。
セロ弾きの後ろ姿は、カブトムシのようだと喩えています。たしかに、大きなセロをでんと前に置いて弾いている姿は、立派な演奏家にちがいないのですが、後ろからみると、どこかカブトムシに似ていませんか。長い燕尾服は、黒茶色のカブトムシの背中のようだし、頭の上に飛び出したセロの弦は、カブトムシの角のようにも見えます。
一般の部A大賞 (40歳未満)
静電気パチンと弾ける冬の距離
冷えて乾いた空気の中で静電気がパチンとはじける度に、冬を実感します。冬の寒さの中で人は温もりを求め、人と人との距離が自然と縮まります。それは「静電気がはじけるほど近い距離」だと思います。その距離やもどかしさを想像して句にしました。
静電気は、冬の乾いた空気のなかでよく発生しやすいもの。暖房の効いた室内で、絨毯の上を歩いたり、ドアのノブに触れたりしたときに、火花が散ってビリッときます。上中句まではその状態をいうわけですが、「冬の距離」と転じたところがこの句の眼目。帯電状態で摩擦して起きる火花は物理的現象ですが、「冬の距離」で、なにやら人間同士の関係のようにも見えてきます。触れるか触れないかの微妙な関わりで、火花が散るのです。
一般の部B大賞 (40歳以上)
曼珠沙華帰ろう鍵をかけぬ村
事業に成功し、都会で多忙な生活を送っていた友人は、一方で、子どもの頃の話を懐かしそうにしていました。土の匂いが抜けない彼の、望郷の思いに共感して句にしました。
懐かしいふるさとの里山のような風景です。曼珠沙華の花が咲き、鍵をかけずに家を出払っても、何も起こらない平和な村。そんなふるさと。おそらく作者は、都会へ働きに出かけてから長い歳月を過ごしているのでしょう。年をとると無性にふるさとが恋しくなる。あのふるさとへ帰りたいという思いが募ります。「帰ろう」は、そろそろ帰ろうかなあ、帰りたいなあという思いなのではないでしょうか。その切ない望郷感が響きます。
英語俳句の部大賞
Even birds
Walking gingerly
On ice
訳/ 鳥たちさえも氷の上はおずおず歩く
冬に凍った水たまりの上に鳥がとまり、転ばないように恐る恐る歩いていました。鳥には羽があり、空を飛ぶ事ができるのですが、その鳥は自身が鳥であることを忘れてしまったかのようでした。
自然界の一つの発見です。空を自由に飛べる水鳥でも、氷の上を歩くときは、足がすべりバランスをくずしたりします。ちょっとこっけいですが、作者は生きもの同士の連帯感をもって、温かく見守ります。副詞"gingerly(用心深い/非常に慎重な)"がよく効いた達意の句です。