とびばこで足をひらくと空にいる
体育の時間、跳び箱を跳んだときのことを書きました。体育の中で、跳び箱はあんまり得意じゃないけど、高い跳び箱に向って一生懸命走って、思いっきり足を開いたら、なんだか簡単に跳べました。ふわっと、気持ちよくて空にいるような感じがしました。
動きのある句を書くのは、案外むつかしいものだ。まして時間の経過を書くのは、なおむつかしい。この句は、中句の「足をひらく」という動きのあることばが句全体を生き生きさせている。そして結びの「空にいる」で、まるで無重力の空中静止のようなスローモーションビデオを見てるみたいだ。
鳥がみんな風の形をしている春
春を待ちかねたように、スズメやヒヨドリや鳥達がみんな気持ちよく飛んでいました。風と一緒になって春を呼んでいるみたいだなあって思いました。お母さんが新俳句大賞に応募するので、私も一緒に出してみたのが入賞したのでびっくりしています。
春は鳥がいちばん活動する時で、野に山に里にいそがしく飛び回っている。まるで春風が吹いているように、あちこち散らばっては、また集まってくる。そんな鳥を「風の形をしている」と感じたのは、本当に詩のような美しい捉え方で感心した。
田舎では星が降ります頭上注意
今年のお正月、宮崎の祖父母の家に家族みんなで遊びに行ったとき作った俳句です。すぐ裏の山に登って星空を見上げていたら、流れ星が落ちるのがいくつも見えました。宮崎の夜空は星がたくさんあって、とてもきれいで、本当に降ってきそうなんです。
キラキラかがやく星の光は、今の都会の街中では見られない。しかし、その都市を離れて、たとえば自分の故郷に里帰りしてみたとき、まるで降るような星空に、おどろきと久しぶりに胸のときめきを感じてしまう。思わず頭上注意と叫びたい気持ちになる。その眺めを人に伝えたいからだ。
あなたとの距離が近づく冬が好き
片思いの彼と偶然二人っきりになって、冬の寒い日だったので、何となく体を寄せて立っていたんです。ドキドキして、とっても幸せな一瞬―。その時の気持ちをそのまま俳句にしてみました。残念ながらその彼氏とは片思いのままで終わってしまいました。
ロマンチックなタッチで書いていて、なんだが人と人の親しみを身近に感じる。それは冬だから、自然に行動範囲が限られ、その人との出会いの機会も多くなって、つい話しかけられることも多くなす。もし冬のスポーツが共通話題なら、さらに距離がぐんと近づく。
シャワー全開君をとられてなるものか
小さな句会で、兼題が「水」のとき作った句です。その時は共感を得られなかったんですが、自分では気に入っていたので、新俳句大賞に応募してみました。シャワーを浴びて気合いを入れ、「さあっ」という感じ。その時の「君」が今、私の夫です。
豪快なまでの思い決めのよさ。てっきり男性作者と思ったら、まぎれもなく女性で、その一途な思いこそ相手を圧倒するパワー全開といったところ。そういえば、女性も平気で「君」ということばを日常語に使っているようだ。この強烈な訴えと行動こそ、まぎれもなく今日的だ。
母が小さくなって赤い唐辛子
背が丸くなって小さくなった母。いま、一緒に暮しておりますが、気はしゃんとしっかりと燃えている…。「赤い唐辛子」と書いたのは、そのような感じでしょうか。母には随分苦労をかけたなという思い出感謝しながらこの句を作りました。
年をとって背が跼まり、小さくなった母ではあるが、まだまだ元気だ。唐辛子を干した庭先で元気に作業している。赤い唐辛子は、よく日に照らされ、小さくなっているが、そのつやのある赤さが貴重だ。わが母も、いつまでも元気で日にかがやく唐辛子のように。
草刈って風を失くしてしまひけり
去年の夏、むさ苦しいほど庭に雑草が生い茂っておりましたものですから、たまらず刈り取ってしまいましたら、なんだかそよ風まで一緒に刈り取ってしまったような気がしました。雑草とはいえ、風にそよぐ様がなんともなつかしくさえありました。
草刈りは夏の季語。伸びていた草原や芝生を刈りこんでゆくと、草をなびかせるほどの風があったのに、短く刈ってしまうと、風にもそよがない。その景を作者は「風を失くした」と見たのである。その見定めが貴重で、俳句の味わいを深めていることに気がつく。巧みな句だ。
soft distant music
flowing from the room
in butterfly lines
訳/ やわらかい音楽が遠い部屋から流れてくる…蝶が舞うように
またまた大賞の作者が十歳ということで驚きと喜びを重ねて居ります。音楽の流れと舞う蝶は美しい楽譜のような素直なリリシズムを醸しています。『高く心を悟りて俗に帰るべし。俳諧は三尺の童子にさせよ。初心の句こそたのもしけれ。』という芭蕉の言葉を引用したくなりました。(竹下流彩)