ご自身が新俳句を詠まれることはございますか。
いとう:審査員になってから、詠んでいません。偉そうなことを言っているのに、実作がまずいと洒落にならない。金子さんには「あなたはこっちに来る人だ」とずっと言われていた。「いつ来るんだ」と言われていたけど、審査員をやっていたらできない。でも、頭の中でひねるときはあります。やっぱり面白そうだからですよね。僕は散文の人間なので詩に憧れがある。その詩をちょっと触ってみたい思いもある。けれど、怖くて発表できません。みんなに点を入れてもらえないと困るから。
吉行:遊びでしかやらない。今、俳句ブームで、芸能人が句集を出したりしてるけど、私は絶対に出しません。
たとえば50年後、100年後の新俳句は、どうなっていると想像されますか。
吉行:素敵な人が出てきてほしいなあ。
いとう:そうですね。僕が思うのは、新俳句のなかに、本当の俳人が出てくると思います。新しく革新的に俳句を詠む人が何人か出てくる。
吉行:でも、見つけてあげないとね。こいつだと思う人を見つけて。
いとう:そうなんですよ。スパルタで鍛えるとか、考え方を教えるだとか。
吉行:それができるのはいとうさんしかいない。自分は作れなくても教えられる。
いとう:金子さんはこんなことを言っていただとか、ここの「よ」を「あ」に変えるこうなるよ、ということはできるかも。
吉行:それをお願いします。
いとう:わかりました。でも、自分はやらないじゃないですか。俳人は出てくるべきだし、出てくるでしょう。それをちゃんとバックアップできるかどうかというのは、伊藤園の面白い事業になると思います。
吉行:何人かピックアップして。
いとう:新俳句人という俳壇を作る。
吉行:やりましょう。
次回の新俳句大賞の公募に向けて、これからの応募者にかけられる、お言葉をお願いいたします。
吉行:自分を面白がらないとできない。自分ってなんだろうと思ったことがないと俳句を詠めない気がする。そこから出てくる言葉をみつけてくれたらいいなあ。若い人がやってくれるといいなあ。
いとう:作為的ではない、自分の言葉で詠んだ俳句を僕らも選ぶと思います。吉行さんの話を聞いていて思ったのは、好奇心かな。好奇心のある人は、何を見ても他の人とは違って見えるのではないか。世の中に対し、好奇心がないと、よくあるポップスの一節を引っ張ってきて書いてしまう。よくある男と女の感情を書いてしまう。でも、それは自分の感情ではない。自分に対しても好奇心を持ってあげて、自分を大事にしてあげて、自分は意外に面白いんじゃないかと思ってあげる。自分にも他人にも世界にも好奇心をもつことが、社会を詠むことになる。まずそこからやっていけば、あとは素直に詠むだけだ。それが金子さんの教え。へんにひねくれた俳句っぽいものよりも、好奇心で詠んでいれば、そんなものの見方、切り口があるんだと一瞬、絶対僕らは思う。
来年に向けての抱負を。
吉行:来年も審査員に関わっていたいので、身体を鍛えます。
いとう:いてくれないと。吉行さんが選ぶ句があるんです。「これ、吉行さんが採るな」てのがある。優しくて、ほわんとしていて、欲のない句みたいなのを。僕などはもう少し変わった句を採りたくなる。埋もれている句を吉行さんが掘り起こしてきて、上にあげてくれる。それは各自の分担はないけど、そういうものがあってくれてこその新俳句の幅だと思います。ぜひ身体だけは。僕もそんなことをいっていられない年齢になりました。きちんとしたものを採れる、自分の好奇心を研ぎ澄ましておかないと、「つまらないものを採るようになったなあ、アイツも」と天国の金子さんに言われると悔しいから。
吉行:いとうさんには力になってもらったから。私は自分のことだけ一生懸命。