ギャラリー

新俳句と向き合い続けた30年

新俳句大賞の30年間と、時を共にした平成時代には、さまざまな出来事がありました。(明るい話題で)印象的な出来事、また思い出すと嬉しくなるような出来事はなにかございますか。

いとうさん(以下(いとう)):吉行さんは2回目から審査委員をしていますよね。

吉行和子さん(以下(吉行)):そうです。最初はこんな感じとは思っていなかった。なんか偉い人が選ぶから、私たち素人が選ぶとどんなことになるんだろうぐらい気持ちでした。

いとう:にぎやかしみたいな感じですよね。

吉行:なんでもいいだろうと思い、好きな句を選んでいました。でも、全体の雰囲気からこれは違うんじゃないかと。素人なりに、私なりに真剣に選ばせていただくことにしました。俳句のことなど知らなかったのに、審査委員の皆さんが真剣に俳句について考えて、選んでいらっしゃることを知った。金子兜太先生と森澄雄先生の意見がまったく違いました。金子さんが「これがいい」というと、森さんがものすごい勢いで反対なさった。机を叩き、「この句は絶対に選びたくない」と反対した。ひとつの俳句を真剣に選んでいらっしゃることはすごいことだ。ときには金子さんが「君はこういうのが好きだろうなぁと、それもわかる」と折れたりして。ともかく、お互いが絶対に譲らず、ひとつの俳句についてふたりが論争されていた。そのおかげで俳句が、ただ単に五七五ではなく、いろいろな言葉を集めただけではない、詠手の人間性も加わっていることを知ることができた。それは人間を見るうえで役に立っていると思います。おろそかに人と付き合ってはいけないんだと気づかれました。

いとう:あ、そういうことまで。僕は初回から10数回目まで参加し、何年間か抜けたあと、また呼び戻されて、この3年やっています。前半は吉行さんとやってきました。森さんと金子さんの対立の面白さみたいなものは僕もよく見ていました。

吉行:芝居でもなんでもよく喧嘩しますが、あのふたりのような真剣さはないです。

いとう:森さんは有季定形で、季語がないとおかしいではないかと考えていて、ロマンチックな俳句も選んでいました。金子さんは無季でも構わないが、定形が重要なんだと考えていた。立場がまったく違った。そんな立場が異なる人がよく集まったなあ。

吉行:あいつが来ることがわかっていて、それでも新俳句の審査委員を受けた。新俳句を見出そうという情熱があった。

いとう:なにが始まるんだろう。自分はどうしても有季を譲れないと森さんは言った。いや、そうではねぇんだという金子さんがいた。ある意味頂点の論争を見ながら、僕らはかわいらしい俳句を選んでみせていた。

吉行:素晴らしい瞬間を見ていたと思います。伊藤園の新俳句が30年も続いたのは、皆が繰り返しではなく、真剣に選んでいたから。

いとう:吉行さんと僕は審査委員をしてきたことで成長したと思います。金子さんも、君たちとやっているといろいろな感覚を得られていいといわれていた。ある年、ゲスト審査委員が「こんな句は凡庸じゃないか」と言ったところ、そのとき急に森さんが「凡庸でない俳句などあるか」と怒った。「凡庸でない俳句とはなにか」とよく考えるんです。自然でふつうで目立たない、奇をてらわないものが俳句だというのは凄いなぁと思う。自分のなかにそのような発想はまったくない。でも、森さんの言葉が残っている。そのぐらい各自が哲学と論理を持って審査会に参加している。伊藤園のお~いお茶のラベルに入賞した俳句が書かれていることから、手軽に選んでいると思われているかもしれません。でも、選んでいるときはけっこうヒヤヒヤのときもあった。喧嘩がはじまっちゃうのではないか。

吉行:そうですねぇ。

いとう:論争は俳人の基礎なので、暴力に走ることはない。汚い言葉もでなかった。あれがジェントルマンの論争の仕方だった。

吉行:審査員になったことで、特別な感情を持てる仲間ができたし、こんな方がいるのかと知ることができた。

新俳句は、この30年間でどのように成長・進化をとげることができた、とお考えですか。

吉行:俳句の雑誌がたくさんあります。読む機会がありますが、これという句はなかなかない。ところが、選ばれた新俳句にはいい句がたくさんあります。これは凄いこと。みんながうまくなったわけではなく、こんな発想で句を詠むのかという句が増えてきた。

いとう:そうですね。俳句を作り慣れちゃうと、たとえば杉の木を見るとこんな句を詠もうという頭ができてしまう。ところが、子どもは杉の木ではなく、杉の木の向こう側を見ているかもしれないし、別に杉とも思わずに詠んでしまうかもしれない。そういう規則が固まっていないからこそ捉え方が新しいと思う。それをまた平易な言葉で表してくれる。いまや新俳句が俳句ではないのかと思えるぐらい力を持つようになった。しかも内実もある。そのときの感情としては面白いといえるものになったと、この30年でなってしまったなあ。30年前は歳時記を知らないと詠めないのが俳句だった。金子さんも無季でいいだという論を立てた。実際、高浜虚子の前は無季の俳句がたくさん詠まていた。実際、伝統的に無季の句が多い。最初の頃は「伊藤園のペットボトルに書かれた俳句には季語がないじゃないか」と言われた。

吉行:言われましたね。

いとう:こんなのは俳句じゃないと言われたけど、いまでは無季の句が浸透してきた。いまでも有季でないとだめだという人がたくさんいますが、少なくとも新俳句ではこれでいいとなった。

吉行:俳句らしい俳句で、きちんとした形になっているのはなしで、新しい感覚の新俳句がたくさん出てくるようになった。それに触れることができるのはとても刺激を受けています。

いとう:審査員としてびっくりするほど刺激を受けています。自分が家で選んでいない俳句を誰かがいうと、その句がよく思えてきて、味わうと、たしかにいい句だなと思えるような句がたくさんあります。

吉行:選んでいる時間が半端ではない。11時から5時頃までお弁当を食べるとき以外、みんな真剣に選んでいます。最初の頃はそれが不思議でした。なんでこんなに真剣なんだろう。もっと簡単にできないのかしらと思いましたけど。

いとう:本当は事前に選んた句には、点数が付いている。実際に選んでみると、1点しかついていない句がいいと言い出すこともある。

吉行:ひとつの句の受け止め方、感じ方が時間とともに変化する。それが自分でも不思議。

いとう:不思議なことですね。毎回そうなります。楽しいです。

吉行:一年に一度ですが、大勢の人たちがこんなに真剣に、一句について考えることはこの世にないですね。

いとう:しかも審査員の職業がみんな違う。俳人だけが選んでいるのではないので、視点も理論が違う。なぜいいと思うかを、それぞれが言う。そう思っていると、その句がよく思えてくる。最初に自分が選んだ句がぜんぜん面白くなく思えてくる。

吉行:ありますねえ。恥ずかしくなっちゃう。

いとう:0点みないな。人が選んだ句にのっちゃう。それが文芸が持っている面白い部分。

吉行:黒田杏子さんはいろいろな審査会に出ていますが、伊藤園のような審査会はないって。一人ひとりが意見を言い合い、段々意見がまとまっていく。

いとう:それは金子さんが作った雰囲気だと思います。初めて参加したのは20代のひよっこでした。でも、金子さんは年齢にかかわらず意見を言わせようとした。何か発言してもそれを抑えようとしなかった。反対意見であれば、年下だから馬鹿にするのではなく、「あんたはそう思うかもしれないが、違うんだ」と言ってくれた。そのおかげで全員がわいわい意見を言えた。偉い先生に対し、反対意見を言えた。吉行さんが「私は好きじゃない」といえる。

吉行:金子さんの力は大きかった。少しでも権威をちらつかせたら、みんなが萎縮したはず。素人の私に「自由に発言しなさい」と言ってくれた。

新俳句には、ごく個人的な想いをうたった作品が多くあります。またその個人の想いが生まれる背景には、普遍的なものや、社会性を反映したものが、混ざりあっているように感じられます。新俳句と、社会性・時代性・世相とは、どのような関係性があるとお考えですか。

いとう:湾岸戦争があったとき、僕は「僕は戦争を詠んだ句を取りたいと思う」と言ったことに対し、金子さんはそれでいいと仰った。金子さんも社会性俳句を詠んでいた方。世の中のすべてを詠めるのが俳句。だから社会のことを詠んだほうがいい。第三十回(2019年度)の大賞のひとつに終電の句があった。この句はなんにも言っていないように感じるが、若い人が終電の時間まで働いている社会であることがわかるわけですよ。そういう意味でも俳句は、花鳥風月を詠んでいれはいいものではない。だから無季でもいい。だから新俳句なんだ。俳句に詠めないものはないと言っていた。全部詠める。詠まなければならない。凄いなあと思いました。

吉行:でも、3・11の後、大勢の人がすぐに俳句に詠んだときは首をかしげていた。

いとう:形式的に作ってしまう人がいる。でも、そうではない。素直な心の中から出てくる句を俺は取りたいという気持ちだった。なんでもかんでも社会を詠めばいいわけではない。

吉行:そこらへんは厳しい人でした。

いとう:僕が平和の句をやっていたとき、テクニカルにいい俳句は取らなかった。子どもが書いたスローガンのような句を選んだ。選んだ理由を聞くと、作為がない、素直に詠んだと言われた。捏ねくり回すようなものは誰でもできる。この人の奥深さはなんなんだろうとびっくりした。